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出来事 in 台湾 「10.香港へ出国(2001年)」

 台湾へ行って仕事をする時は、いつも商用ビザを取得して入国していました。以前は長期滞在が可能でしたが、この頃の滞在可能期間は短かったので、ビザを取り直すためによく香港へ出国しました。

 香港101(紹介)-340

 初めての、香港への出国。同じ中国語圏であることから、台北や高雄へ行く位の軽い気持ちで往復の航空券だけを手配して宿泊ホテルは予約しないで出かけました。

 台湾から香港までの所要飛行時間は、約1時間40分。やがて飛行機は、香港国際空港へ到着しました。まず、眼下に広がる空港の広さに驚きました。今では 韓国のインチュン空港・シンガポールのチャンギ空港 に次いで3番目ですが、当時は世界一と言われてていました。

 香港102(空港)-340
 
 入国審査・手荷物検査・香港 ドル (HKD) への両替 を終え、事無く到着ロビーへ出ました。しかし、それからがちょっと想定外でした。まず、ロビーの広さにまたまた驚きました。どこへ行って尋ねるのか、それすら大変。片っ端から問いかけても、北京語がなかなか通じない。7~8人目でようやく話ができ、バス乗場・タクシー乗場を知ることができました。

 香港103(待室)-340
 
 *香港の言語、共通語は北京語ですが一般には広東語が主流。北京語も英語も話せない香港人も沢山います。

 勝手の分からない香港、無理をしないでタクシーに乗ってホテルを探すことにしました。当然、北京語は通じません。やむなく、片言の英語で伝えホテル(九龍 彌敦酒店)へ案内してもらいました。ホテルでは簡単な日本語は通じましたが、皆さんの会話は広東語のようでした。

 ともあれ、宿泊先も決まり一安心。台北を発ったのは午後の便でしたので、ホテルへ着いた頃にはもう薄暗くなっていました。荷物を部屋に置き、まず近くに適当な店を探して食事をしました。その後は、初めての香港の街や夜市を散策。

 香港104(街壱)-170 香港105(街弐)-170

 *翌日、もう一度街へ出て少しばかり買物をして帰ってきました。そんな、初めての香港訪問でした。

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 ⇒出来事 in 台湾 「9.ぎっくり腰(1998年)」

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出来事 in 台湾 「9.ぎっくり腰(1998年)」

 台湾では、歩道までがお店の持物(敷地)です。ですから、歩道は コンクリート・タイル・敷石 e.t.c. さまざま。また、歩道一杯に商品が並んでいるところもあります。一番注意しなければいけないのは、店ごとに高さの違いがある境目の段差です。

 ぎっくり腰91(段差)-340

 そんな段差には注意していましたが、ある日段差を下りた瞬間腰に強い痛み(ぎっくり腰?)を感じました。ホテルへ引返して暫くベッドで休んでいましたが痛くなるばかり、とても食事にも出られない状況。なんとかしなければと思い、知合いの王さんに電話をして医者へ案内してもらいました。

 ぎっくり腰92(腰痛)-170 ぎっくり腰93(先生)-170

 番号を呼ばれ診察室へ入ると、先生から日本語で「どうされましたか?」と問いかけられました。どんな治療をされるのか心配していましたが、その瞬間不安はやわらぎました。状況を説明して、言われるままにベッドにうつ伏せになり、診察と治療を受けました。その後には、不思議なくらい随分痛みはなくなっていました。そして、看護婦さんが注射(痛み止? 睡眠剤?)をしてくれました。

 先生には、「心配要りません。すぐ良くなりますよ!」と言われましたが、その時は半信半疑でした。ホテルへ帰ると眠くなり、3時間ほどぐっすり眠りました。目が覚めオソルオソル起き上がってみると、すっかり痛みはなくなっていました。その時は、「痛み止が効いているのだろう」と思いましたが、それから後も痛みがぶり返すことはありませんでした。

 *あの時医者を紹介してくれた王さん、そして治療して頂いた先生、今でも感謝しています。ありがとうございました。

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 ⇒出来事 in 台湾 「8.財布を忘れて食事(1996年)」
 ⇒出来事 in 台湾 「10.香港へ出国(2001年)」

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出来事 in 台湾 「8.財布を忘れて食事(1996年)」

 休みの日のお昼、一人でホテルから歩いて30分ほどのお店で食事をした時の出来事です。食事をしてお勘定をしようと思い財布を取り出そうとしましたが、どこにもありませんでした。

 財布を忘れて食事81-340

 落としたのではなくて、ホテルを出る時に持って出るのを忘れていたことに気づきました。仕方なく、店の人に財布を忘れてきたことを告げました。

 すると、「身分証明書を見せてください」と言われました。当然、台湾国籍ではないので身分証明書はありません。日本人だと告げましたが、あいにくパスポートのコピーも持ち合わせていませんでした。

 時計を置いて一旦ホテルへ戻る方法もありましたが、結局店の電話を借りてホテルへ電話をしてお金を届けてもらいました。

 *こんなことがあって、生活に馴れ過ぎている自分に気付きました。ただ、知らない国だからこそ時には無神経になることも必要です。「注意深く・時にはおおざっぱに」、これが海外で生活する時の秘訣でもあると思います。

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 ⇒出来事 in 台湾 「7.高速バス(1992年)」
 ⇒出来事 in 台湾 「9.ぎっくり腰(1998年)」

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出来事 in 台湾 「7.高速バス(1992年)」

 高速バス事業の自由化が進んでいる台湾では、「國光客運・統聯客運・阿羅哈客運 e.t.c.」沢山の高速バス会社があり、サービスを競って豪華バスが頻繁に運行しています。

 高速バス71-170 高速バス72-170

 ある日、仕事で台中から高雄へ出かける用事ができました。これまでも何度か高雄や台北へ出かけることがありましたが、いつも現地の社員と一緒に会社の車での移動でした。

 その日は、一人でした。たまには豪華バスもいいだろうと思い、会社近くのバス停で乗車券を買って高雄行の高速バスに乗り込みました。所要時間は、2時間半ほどを予定していました。

 ところが、そのバスは高速道路の各インターで一旦出てお客さんを下ろしたり拾ったりしながら高雄まで行くバスでした。そんな訳で、予定を大幅にオーバーしてしまい4時間近くかかってしまいました。

 *高速バスには、直通と各インターで出入りするバスがあります。乗る前に十分確認する必要があります。仕事先にはご迷惑を掛けましたが、いい経験でした。

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 ⇒出来事 in 台湾 「6.澎湖島(1989年)」
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出来事 in 台湾 「6.澎湖島(1989年)」

 澎湖島(pēng hú dǎo)は、台湾本島嘉義市の西約50キロの台湾海峡に浮かぶ、温暖な気候と様ざまな魚資源に恵まれた珊瑚礁の島です。

 澎湖島61(地図)-340

 私たちは、職場の仲間と釣りと観光を目的に台中の空港から飛び立ちました。40分ほどすると、コバルトブルーの珊瑚に囲まれた島々が眼下に見えてきました。そして間もなく飛行機は、澎湖諸島最大の島 澎湖島 の馬公の空港へ降りました。

 その日は、船を借り切り魚釣り。南海の、珍しい魚に遭遇。翌日は、澎湖島「順承門・天后宮」を観光。一泊二日「新鮮な魚・素朴な人情・島の歴史・美しい景色」の中で、楽しい時を過ごすことができました。
 
 *島の様子を少し紹介しておきます。ご覧ください。

 【美しい海と珍しい魚】

 澎湖島62(美海)-170 澎湖島63(珍魚)-170

 【順承門】 19世紀末に建てられた国家古跡 馬公漁港の隣に位置した軍事防衛拠点 国軍の将兵が駐留

 澎湖島64(順門)-340

 【天后宮】 西暦1592年に建てられた国家古跡 海の神様「媽祖」が奉られている澎湖で最も古い歴史を持つ寺

 澎湖島65(天宮)-340

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 ⇒出来事 in 台湾 「5.陪你唱歌?(1987年)」
 ⇒出来事 in 台湾 「7.高速バス(1992年)」

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出来事 in 台湾 「5.陪你唱歌?(1987年)」

 アパート暮らしをしていた時、近くのスナックへよく出かけていました。一人で静かに呑んでいると、店の娘が「陪你唱歌(péi nǐ chàng gē / 一緒に歌いませんか)?」と言ってかけてくれたのが"もしかして PartⅡ" でした。

 唱歌51(酒)-340

 【歌詞】
⇒(女) もしかしてもしかして 私の他にも誰か いい女がいるのなら 帰っていいのよ かまわずに (男) もしかしてもしかして お前のすねてる訳が さっきの電話のせいならば バカだな 仕事の相手だよ ・・・ 

 【歌:小林幸子・美樹克彦】
Uta-Net もしかしてPartⅡ

 唱歌52(歌)-340
 
 当時は手動のCDカラオケで、彼女はお客さんのリクエストに応えてCDをセッティングする仕事をしていました。歌が好きな娘で、"もしかして PartⅡ" の日本語も歌もほんとうに上手でした。

 その後、何度も彼女とデュエットしてこの歌を覚えました。彼女のお店での名前は、みんな "儷馨(lì xīn)" と呼んでいました。細身で小顔で控えめで、とても奇麗な娘でした。

 そんなことがあって、一緒に食事をしたり喫茶店へ行ったりするようになりました。歌のような関係ではありませんでしたが、想い出に残る懐かしい歌です。

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 ⇒出来事 in 台湾 「4.火事(1986年)」
 ⇒出来事 in 台湾 「6.澎湖島(1989年)」

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出来事 in 台湾 「4.火事(1986年)」

 アパートは大通りに隣接し、近くには「コンビニ・クリーニング店・日本料理の店・中華料理の店 e.t.c.」があり、一人暮らしの私には便利な場所でした。大通りからは塀に囲まれてよく見えませんでしたが、東隣には木造三階建ての無人の家がありました。

 その日は疲れていたので、いつもより早くベッドへ入りました。寝入って小一時間ほどした頃、煙の臭いで目が覚めました。まず灰皿を点検、異常はありませんでした。更に部屋中を点検、煙が出ているような状況は見当たりませんでした。

 ふと居間のエアコンに目をやると、吹き出し口から少しずつ煙が流れ込んでいるのが見えました。とっさに窓を開け下を見渡すと、木造の空家から火がでているのが目に入りました。

 火事41(発見)340

 火事だ!逃げなければ。夢中でパジャマを着替え、パスポートとお金を持ってアパートを飛び出しました。そしてタクシーを拾って、同僚が滞在しているホテルへ駆け込みました。その時は、まだ足がガクガクしていました。

 暫くして、気持が落ち着いてきました。ホテルから消防署へ電話をして様子を聞いてみると、鎮火したとのことでしたのでアパートへ戻ってみました。まだ周辺は、沢山の人で一杯でした。アパートへの延焼はありませんでしたが、辺りは水びたしで煙の臭いに包まれていました。

 火事42(鎮火)340
 
 結局、その夜はホテルで休みました。朝になってアパートへ戻ると、「姿が見えなかったので心配していました!」、そう云って大家さんが尋ねて来てくれました。

 *火事を告げてから逃げなければいけなかったのに、真っ先に逃げ出したのが私だったようです。大家さんには、とてもそんなことは云えませんでした。

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 ⇒出来事 in 台湾 「3.豊原客運(1985年)」
 ⇒出来事 in 台湾 「5.陪你唱歌?(1987年)」

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出来事 in 台湾 「3.豊原客運(1985年)」

 土曜日の夜いつもの店で食事をした後、豊原の外注メーカーの知り合いを尋ねることを思い立ち、台中駅から豊原客運の路線バスに乗りました。

 31豊原客運-340

 食事の時お酒をいただいたこともあって、バスの中ですっかり眠ってしまいました。運転手さんの声で目を覚ますと、そこは豊原を通り過ぎて終点の東勢のバスターミナルでした。

 東勢は、台中駅からバスで2時間ほどの山の中の小さな街です。バスを降りると、辺りは外灯の明かりだけで人影はありませんでした。夜も遅かったので、バス停近くに小さなホテルを見つけ一泊しました。

 *予定外のことで、パスポートは持っていませんでした。日本人と思われたかどうか分かりませんが、「我姓王(wǒ xìng wáng / 王です)」で泊めてくれました。

 翌日は、何も予定はありませんでした。せっかく来たのだと思い、一日のんびり散策して帰ってきました。

 32東勢林場-170 33巧聖仙師-170

 【東勢林場】 中部の陽明山と言われるほどの代表的な山林地帯、敷地内には「宿泊用ロッジ・こどもの遊び場・遊歩道」などが完備されています。

 【巧聖仙師廟】 大工の守護神「魯班(巧聖仙師)」をまつる廟、1775年に魯班の旗を奉納したことから始まり、230余年の歴史があります。

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 ⇒出来事 in 台湾 「2.蘭嶼観光(1983年)」
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出来事 in 台湾 「2.蘭嶼観光(1983年)」

 蘭嶼(lán yǔ) は、台湾南部の太平洋沖にある小さな島です。台東の空港から小型機で飛び立って暫くすると、島の海岸沿いに設けられた小さな滑走路が見えてきました。そして、やがて無事着陸。

 出来事21蘭嶼地図-340

 島では、タオ族が今でも昔ながらの自給自足の生活を守り続けています。そんな生活環境を保護するため、公共の交通機関はありません。私たちは、ホテルが手配してくれた船で島を一周して海から観光しました。

 島の様子を一部紹介しておきます。詳しくは、添付のホームページをご覧ください。

 出来事22軍艦岩-110 出来事23野生のヤギ-110 出来事24芋頭畑-110

 【軍艦岩】 切り立った岩でできた島で周りは豊かな魚場 第二次世界大戦中に軍艦と見誤った米軍が攻撃を仕掛けたという島

 【野生のヤギ】 サンゴ礁の岩と広がる草原 いたるところに野生のヤギがおり道路にも出てきますので散策する時は要注意

 【芋頭畑】 少ない耕地を段々畑として栽培されている芋頭(ユイトウ = タロイモ)はタオ族の主食 ホクホクしてジャガイモに近い食感

 *蘭嶼は、タオ族の素朴な生活が今に伝わる自然豊かな島です。

 ↓ ホームページは コチラ
 旅々台北.com 蘭嶼(lán yǔ)

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 ⇒出来事 in 台湾 「1.喫茶店(1981年)」
 ⇒出来事 in 台湾 「3.豊原客運(1985年)」

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出来事 in 台湾 「1.喫茶店(1981年)」

 ある日街歩きの途中、アイスコーヒーでも飲んで一休みしようと喫茶店へ入りました。ウエイトレスに知っている単語を並べて、「咖啡(gā fēi / コーヒー)+冰塊(bīng kuài / 氷)」と告げると、日本語で「アイスコーヒーですか?」と問い返されました。

 出来事11喫茶店-340

 このウエイトレスには、日本語が通じたのでした。出てきたアイスコーヒーを飲みながら、この滑稽で奇妙なやりとりを思い返して(腹の中で)笑ってしまいました。

 それから数日後、街歩きの途中に同じ喫茶店へ入りました。今度は、日本語で「アイスコーヒー下さい!」と注文しました。しかし、この日のウエイトレスには日本語が全く通じない様子でした。

 結局覚えたばかりの北京語で注文「我要冰咖啡(wǒ yāo bīng gā fēi)」して、アイスコーヒーを飲むことができました。

 *日本ではないのだから、これがごく自然で当たり前なことですが・・・

 出来事12総督府-340
 
 *過去に日本が統治していた時期があったこともあり、日本語を話せる人も沢山います。またそんな関係もあることから、親日的な国です。

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 ⇒出来事 in 台湾 「2.蘭嶼観光(1983年)」

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初めての台湾(1981年)「16.生産開始(最終話)」

 訪台して、いつの間にか五ヶ月が過ぎようとしていました。何度となく繰り返したメーカー指導で、メーカーからの調達部品も全て合格品(多いものは、5回の改善を繰り返しました。)が揃い、最終(三回目)の生産トライ(50台組付)が始まりました。

 工程整備「設備・治具・組付要領書」などの不具合に対する改善効果の確認は前回(2回目)の生産トライで殆ど終わっていましたので、今回のトライの主な目的は、これまで部品が不完全なために十分確認できなかった製品の生産品質「量産でのバラツキ・耐久性」などを確認することでした。

 生産開始1(品保)-340
 
 製品評価は項目別に並行して進め、10日ほどで終わりました。工程整備を含め一部の不具合はありましたが本生産までに対応できる目処があり、本生産に向けて部品を調達することになりました。

 量産用の部品を手配して三週間ほどが過ぎ、部品の調達が完了しました。同時に「工程整備・製品評価」で残された課題の対応も全て完了して、いよいよ本生産が始まりました。日量80台の工程設計でしたが、初日は65台に抑えられました。

 生産開始2(生開)-340.
 
 関係者が見守る中、朝一番に組付を開始した1号機は多くの作業者の手の中で「部品が組付けられ・調整され・最終検査を終えて」完成品として、その日の午後3時に誕生しました。その1号機の誕生と新製品の生産開始を最終工程でテープカットして、関係者の皆さんと一緒に祝福しました。

 継続して生産は順調に進み、10日ほどで初回ロット(750台)の生産が完了しました。そして初回ロットはコンテナに積み込まれ、多くの関係者と爆竹に見送られ、貿易港「基 隆(jī lóng)」へ向けて出荷されました。

 生産開始3(基隆)-340
 
 翔(sho)も無事終わった安堵感の中でいろいろな出来事を思い浮かべながら、コンテナの無事を祈ってトラックが見えなくなるまで見送っていました。

 *こうして、翔の初めての台湾での半年間の海外生活は終わりました。そして、その中での数々の出来事「見たこと・聞いたこと・感じたこと」は、翔の中で大切な「想い出・経験・力」になりました。

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 ⇒初めての台湾(1981年) 「15.請起立(qǐng qǐ lì)」

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初めての台湾(1981年)「15.請起立(qǐng qǐ lì)」

 初めて映画に行った時には、これまでに経験したことの無い状況に驚きました。それは、映画が始まる前にスクリーンに「請起立(qǐng qǐ lì / 起立して下さい)」の字幕が出て国歌が流れ、字幕に合わせて全員が起立して国歌を斉唱する情景でした。

 *自由主義が浸透し、1990年代の半ば以降、いつの間にかなくなったようですが・・・

 ↓ 中華民国(台湾)国歌「三民主義」       
 吾黨所宗 以建民國 以進大同 ・・・

 これは一体何だろうと思い、職場の人に聞たり自分でも調べてみました。国歌の内容は、三民主義「民族主義・民権主義・民主主義」の精神で自由な中華民国の建設を歌ったものです。

 請起立1(孫文)-170 請起立2(蒋介)-170

 辛亥革命で古来の皇帝政治を終わらせた 国父孫文(国民党総理) と、その意思を継いで漢民族の民主化の道を切り開いた 蒋介石総統 を讃えて国歌を斉唱するのだと分かりました。

 *国民一人ひとりの心の中には、翔(sho)には考えたこともない民主化(個人の自由)に対する深くて強い思いがあることを感じました。

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 ⇒初めての台湾(1981年) 「14.ゴルフ場」
 ⇒初めての台湾(1981年) 「16.生産開始(最終話)」

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初めての台湾(1981年)「14.ゴルフ場」

 或る休日、会社の同僚とゴルフへ行った時の出来事です。ゴルフを終えてアパートへ帰り、財布がないことに気付きました。多分前半の9ホールを回って食事(この時はお金を払ったので)をした後ゴルフ場のどこかで落としたと思い、タクシーを拾ってゴルフ場へ引き返しました。

 ゴルフ場1(球場)-340.
 
 クラブハウスの受付カウンターへ行って財布を落としたことを話すと、そこには財布が届けられていました。しかし金額がかなり多かったこともあり、自分の財布であることの証明が大変でした。

 ゴルフ場2(倶楽)-340
 
 係員の人からは、「どこで落としたのか?」とか、「いくら入っているのか?」など、いろいろ聞かれました。どこで落としたかなんて答えられませんでしたが、財布の中味「台湾$はいくら・米$はいくら・TCはいくら」などを細かく説明して、ようやく返してもらいました。

 *驚きでもあり嬉しかったことは、落としたことに気付いた時は半分あきらめていた財布が他国で親切な人がいて手元に戻って来たことでした。

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 ⇒初めての台湾(1981年) 「13.戒厳令(jiè yán líng)」
 ⇒初めての台湾(1981年) 「15.請起立(qǐng qǐ lì)」

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初めての台湾(1981年)「13.戒厳令(jiè yán líng)」

 当時台湾は戒厳令下(蒋介石総統が台湾へ移る前の年の1948年に施行され1987年に解除)にあり、民間人の中にも有事にはいつでも出動する政府予備軍が多くいました。翔(sho)が知っているだけでも、社員の中にも何人かいました。

 戒厳令1(総統)-340
 
 このような政治事情から、業務の進捗に関わらず日々の仕事は時間内勤務が常になっていました。当然、休日に仕事をするようなことはありませんでした。ただ戒厳令下といっても施行以来30余年過ぎており、現実には特に今すぐ何かが起こるといった危機感があるわけでもなく、また夜の外出時間の規制があるわけでもなく、至って平穏な毎日でした。

 そんな訳で、退社時はまだまだ日が高く、一日が暮れるまでには沢山の時間がありました。アパートへ移って生活にも慣れた頃からは、退社のバスを途中下車してゴルフの練習場へ立ち寄っていました。ゴルフの練習場は、さほど広くはない「打席は20打席・距離は150ヤードほど」の打ちっぱなしと、その裏手には、90~180ヤードのパー3のショートホールが6ホールありました。

 戒厳令2(高球)-340
 
 いつもまず打ちっぱなしで、100打ほど練習をしました。そうしていると、気さくで親切な「老板(lǎo bǎn / オーナー)」の張さんが来て、「喝果汁休息吧!(hē guǒ zhī xiū xī bā / ジュースを飲んで一休みして下さい!)」と、林檎サイダーを出してくれました。そのサイダーを飲んで一休みした後は、練習用のショートホールを回りました。

 使うクラブはパターとショートアイアン3本ほどでしたが、アルバイトの子供がキャディーをしてくれました。この頃には結構北京語も分かるようになっていたので、ゴルフの練習よりむしろ子供の掛け声「好球(hǎo qiú / ナイスショット)・右邊(yòu biān / 右側)・左邊(zuǒ biān / 左側)!」を聞たり二人で交わす会話の方が楽しみでした。全6ホール回ると辺りが少し薄暗くなって、帰るにはほどよい時刻でした。

 戒厳令3(夜街)-340
 
 その後はアパートへ帰ってシャワーを浴び着替えをして街へ出てまず食事、そして腹ごなしに夜の街を散策、そしてクラブへ立ち寄って時を過ごす。そんな、日々でした。また休みの日には、会社の同僚やメーカーで知り合った人たちとゴルフへ出掛けたり、アパートの人たちと「ボーリングへ行ったり・映画を観たり・食事をしたり・美術館へ行ったり」で、結構退屈することなく過ごすことができました。

 *現地での生活、むしろ日本にいる時より沢山のことをして過ごしていました。そして言葉も、そんな日々の生活の中で自然に話せるようになっていきました。

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 ⇒初めての台湾(1981年) 「12.生産トライ」
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初めての台湾(1981年)「12.生産トライ」

 社内(新工場)では製品の生産化に向けて、設計室から発行した技術指導書に沿って工程計画書が作成され、「生産工程の整備・組付治具の準備・作業要領書の準備」が進んでおりました。

 本来は合格した部品を使って生産トライを行い「設備・治具・作業要領書」などの確からしさや製品の生産品質を確認しますが、部品調達に時間を要している中で生産日程を達成するために、二次トライまでに調達した部品を使って一回目の生産トライ(25台組付)を行いました。

 生産トライ1(組付)-340
 
 その結果、「工程の不備による組付性の悪さ・治具の使い難さ・作業要領書の不備」などの問題点と、更には組付性や治具の使い易さ向上への対応として一部の部品は形状を変更しなければならないなど、いくつもの課題が抽出され、部品の変更を含めた工程整備の見直しが必要になり、開発部門としては一部の部品の再設計に、生産部門としては工程整備の改善に着手することになりました。

 *今日では、開発段階から生産部門と一体になった同時並行開発「SE活動(Simultaneous Engineering)」が取り入れられるようになりましたが、当時はまだまだそのような活動は徹底していませんでした。

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 ⇒初めての台湾(1981年) 「11.拝拝(bàai bàai)」
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初めての台湾(1981年)「11.拝拝(bàai bàai)」

 台湾では「拝拝(bàai bàai)」といって、先祖の供養や神様へのお祈りが盛んで、毎月二回(旧暦の1日と15日)行います。特に春節(旧正月)と中元節(お盆)は盛大です。

 前述の品質改善でメーカー巡廻をしていた時、メーカーが工場を拡張して、その安全と繁栄を祈願する「拝拝」がありました。この時、台湾へ来て初めて「拝拝」を経験しました。会場は10~15人掛の円卓が20卓ほど工場の駐車場に並べられ、テーブルには数々の料理と台湾ビールや紹興酒が用意され、載せきれないお酒はテーブルの下にも置かれていました。

 拝拝1(宴席)-340
 
 招待された人たちは、仲間同士でテーブルに着きます。翔(sho)も、同僚(設計室・購買部・品質管理部の仲間)と一つのテーブルを囲って席に着きました。拝拝(お祈り)が終わると、爆竹を合図にしてにぎやかな宴会が始まりました。翔も仲間に勧められ、この時初めて紹興酒を味わいました。琥珀色をした紹興酒は一見ブランデーのようでしたが、飲んでみると少しドロッとしていますが甘味があり、中華料理と一緒に頂くと結構飲み易い酒だなと思いした。

 拝拝2(紹酒)-170. 拝拝3(乾杯)-170

 宴が進むにつれ、メーカーで知り合った人が次から次と翔たちのテーブルを訪れ、乾杯を迫られました。飲み干すとコップを逆さにして「これが乾杯だ!」と教えられ、飲み方を知らない翔は、ついついコップで10杯ほどの紹興酒を飲んでしまいました。その時はさほどではありませんでしたが、その後同僚とクラブへ行った頃には、目は回り、足元はフラフラで、とても二次会どころではありませんでした。

 後で知りましたが、紹興酒は小さなグラスで少しずつ飲んだり、お湯割りで飲んだりするのが一般的な飲み方とのことでした。こんなことがあって、「紹興酒(shào xīng jiǔ )」は、翔にとっては「小心(注意)酒(xiǎo xīn jiǔ )」になりました。

 現地の合弁会社も発展途上の流れの中にあって、取引先からの増加する注文へ対応(翔が担当した新製品も、バイヤーの要望に応えるためのシリーズ展開のモデルでした。)するために新工場の建設が進められており、丁度この時完成して、祝賀会と部品メーカーへの披露を兼ねた「拝拝」がありました。

 翔にとっては、二度目の「拝拝」でした。台中市の一流ホテルの1フロアーを借り切り、30社を超す部品メーカーと本社(日本)の要人を迎えての盛大で豪華なものでした。

 *ただ個人的には、この日本式のやり方より、外注メーカーで経験した夜風の中での「拝拝」のほうが、お祈りにふさわしいと思いました。

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 ⇒初めての台湾(1981年) 「10.品質改善」
 ⇒初めての台湾(1981年) 「12.生産トライ」

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初めての台湾(1981年)「10.品質改善」

 初品入荷に合せて、メーカーから調達した部品の不具合を改善するためのメーカー巡廻が始まりました。

 メンバーは「品質担当1名・購買担当1名・そして翔(sho)」の3名で、まず品質担当者からメーカーへ「評価結果・不具合内容」を説明、次にメーカーを含めた各メンバーで「工程確認・不具合原因特定・対応策決定」、そして購買担当者が工程変更に伴う「コスト変動・次回納入日程」を確認、このような手順で改善活動を進めていきました。

 当然のことですが時間がかかる作業は、不具合原因を見いだして対応策を決める作業です。このため、メーカー巡廻は一日(平均して)せいぜい2社(午前と午後それぞれ1社)程度でした。特に「DC部品・樹脂部品」の成形不良への対応には専門知識が必要で、DC成形の専門家や材料メーカーの技術情報収集と情報に基づくトライアンドエラーでの改善活動になり、トライの度にメーカーを訪れ品質確認に立ち会うなど、多くの時間がかかりました。

 品質改善1(技情)-340

 トライ品(改善品)が納入される度に品質確認と改善活動を繰り返し、全ての部品が合格するまでには、発注してから四ヶ月ほどかかりました。

 当時の台湾の部品メーカーを含めた経済事情は、1970年代後半から始まった政府指導によるグローバル化が進み、日本を含めた先進諸国の投資により様々な産業が発展途上の状況で、どこのメーカーも収益が伸び始めており、新しい「知識・技術」の習得にも力を入れていました。

 品質改善2(台経)-340

 このような状況でしたので、改善活動に対してもメーカーは積極的に協力してくれました。メーカーにとっても、結果的に改善活動を通して新しい「知識・技術」を得ることにもなります。

 当時景気が良かったことと、そのお返しもあると思いますが、メーカー巡廻でのお昼は、メーカーの接待で近くの料理店へ行って食事をするのが日常でした。又、夕食会やクラブへの招待も度々ありました。夕食会では、普段なかなか食べられない「伊勢蝦・ロブスター・フカヒレスープ・鮑」など贅沢な料理を味わいました。食事の後は恒例のこととして、日本式や台湾式のクラブへ案内されました。

 品質改善3(料店)-170 品質改善4(高酒)-170

 日本式のクラブでは、カラオケやポールダンスに興じる客で一杯でした。そして翔もその一人となり、酒もカラオケも好きになっていきました。又特に印象的だったのは、台湾クラブで出合った独特のディスコダンスです。客も店の娘も、一緒になって狂ったように踊りまくります。最初誘われた時には抵抗を感じましたが、思い切ってやってみると実に気分爽快でした。

 *このように当時の台湾は、仕事も遊びも活気に満ち溢れていました。

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 ⇒初めての台湾(1981年) 「9.初品入荷」
 ⇒初めての台湾(1981年) 「11.拝拝(bàai bàai)」

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初めての台湾(1981年)「9.初品入荷」

 訪台して二ヶ月ほどが過ぎ、前述した日本でやり残した資料作りが終わった頃、メーカー巡廻して発注した部品の初品が入荷し始めました。

 受入検査は基本的には品質課の担当ですが、新製品の場合検査規格も十分でないことが多いので、特に重要部品については翔(sho)も立ち会うようにしました。明らかな寸法不良や出来栄えの悪さは一目瞭然ですが、仕上げの良し悪しや耐久性については試作品に組替えて性能評価を行って確認しました。

 新設部品は全部で60点ほどでしたが、初品で合格した部品は小形の簡単な切削物数点のみで、殆どの部品が不合格でした。具体的な主な不具合内容は、「プレス部品に接合したピンやブッシュのカシメ強度不足・焼結部品の密度不足・DC部品の内部の巣・樹脂部品のフローマークやヒケ・インサート軸のインサート部の強度不足」などでした。

 初品入荷1(不良)-340
 
  インサート軸のインサート部には抜け方向と回転方向の強度を持たせるための加工(セレーション)が図面指示してありますが、驚いたことに現物にはその加工が施されていませんでした。後で分かりましたが、工程を減らすためにメーカーが勝手に廃止したとのことでした。

 *これらの初品の不具合状況から、特に目に見えない部分には注意が必要だとつくづく思いました。

 こうして品質課の人たちと仕事を始めたとき、その職場で日帰りの慰安旅行があり、一緒に行かないかと誘われました。何も断る理由もありませんでしたので、参加することにしました。そこは、台中市から車で一時間半ほどの南投県の渓頭というところにある森林浴を楽しむ遊歩道の整備された自然公園でした。

 初品入荷2(渓頭)-340
 
 公園入口の右手にはさほど大きくはない渓流があり、その川沿いには緩やかな石段が続いていました。その石段を暫く登ると平らな山道に変わり、そこには桧林が広がっていました。桧の根元には日本では見られない熱帯性の大きなシダ類が生えており、やはりここは台湾だなあと感じました。

 桧林に囲まれた遊歩道はどこもひんやりしていて、心地よく散策できました。道はまだまだ続いていたかも知れませんが、翔たちは神木と呼ばれる桧の下で昼食と休憩をとり引き返えすことにしました。

 *一日だけでしたけど埃っぽい街中から離れ、久々にリフレッシュできる時を過ごすことができました。

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 ⇒初めての台湾(1981年) 「8.社内での仕事」
 ⇒初めての台湾(1981年) 「10.品質改善」

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初めての台湾(1981年) 「8.社内での仕事」

 新製品の部品手配をスタートさせるための外注メーカー巡廻の後は、初品が入荷されるまで外回りの仕事はありませんでした。そこで暫くの間は、日本でやり残していた「社内用組付図・構成部品表・製品規格・技術指導書」の作成を進めました。

 社内用組付図と製品規格は、従来製品に準じて作成できる内容でしたので、全てを一任して現地のスタッフと女子社員にお願いしました。構成部品表と技術指導書は、新製品としての変更部分が沢山ありましたので翔(sho)が主体で進め、段取りができてから現地の皆さんに協力をお願いしました。

 翔は、先ず構成部品表の作成から取り掛かりました。構成部品表は製品に使われている全ての部品を機能別に分類して、どの部品がどこに取り付くかを分かるようにしたものです。見開きの左の頁は、それぞれの部品の構成を分かるようにした斜視図(現場の作業者はこの斜視図を頼りに仕事をしますので、重要な資料になります。)を入れ、右の頁はそれらの部品の「品番・品名・個数」などを表にします。

 翔は先ず部品の機能別分類と、右の頁の表を日本語で作成しました。こうして段取りをした後、左の頁の斜視図作成と翔には困難な品名の中文化については、現地スタッフにお願いしました。全部で20頁ほどのボリュームでしたが、皆さんの協力のおかげで結構早く(一週間余)完成できました。

 中文の品名は、日常会話とは違い普段使わない漢字が沢山「上臂(shǎng bei / フレーム)・墊圏(diàn juān / ワッシャ)・蝸桿(wō gān / ウォーム)」などありましたので、音順に日本名を基準に中文名を併記した便利帳としても整理しておきました。この便利帳は、後々仕事を進める上でも、又北京語を覚える上でも、大変役に立ちました。

 社内での仕事1(品名)-340.
 
 構成部品表を仕上げた後は、技術指導書の作成に取り掛かりました。製品を段取りよく、そして確実に組み付けるための組み付け手順と、それぞれの過程での確認事項を記した技術指導書は、生産のための工程計画書の基になる資料ですので、現地技術部の試作室で日本から持ち込んだ試作品の分解と組付を繰り返し、組み付け過程での確認事項を一つずつチェックしながら慎重に進めました。

 技術部の試作室には一通りの工具はありましたが、皆で使うことが多くてなかなか思うように使えなかったことと、又これからも必要になると思い、自分専用の工具を揃えました。工具の調達は現地の人に頼めば簡単に揃えることはできましたが、社内のいろいろな部署や人をより多く知りたいと思い、敢えて自分で社内の工具室へ出向いて揃えました。

 こうして工具集めからスタートした技術指導書の作成作業でしたが、構成部品表を作成した時作った斜視図を利用したり、翔の作成した日本語説明文の中文化も、現地スタッフとの連携で順調に進み、三週間ほどで完成できました。

 この工具集めの時に知った、北京語の奥深さを少しお話しておきます。「工具室はどこですか?」などと人にものを訪ねる時は、先ず「我問你(wǒ wèn nǐ / お尋ねします)」と言いますが、「問 / wèn」が「吻 / wěn」になると、全く別の意味になってしまいます。又「ドライバーはどこですか?」は、北京語では「起子在哪裡?(qǐ zǐ zài nǎ lǐ) 」といいますが、「起子 / qǐ zǐ」が「妻子 / qī zǐ」になると、これも又全く別の意味になってしまいます。

 社内での仕事2(四声)-340
 
 北京語には、発音するときに息を出す「有気音」と息を出さない「無気音」の区別や、「四声」と呼ばれる四つの声調による発声の区別があり、日本人には同じように聞こえる音でも、これらの区別ができないと全く別の意味になってしまいます。一度だけの話しかけで「言葉が通じない!」とあきらめてしまわないで、しつっこく何度も発声を変えて話してみることが肝心です。

 *大切なことは、言葉は五十音だけではないということです。日本語(五十音)に置き換えないで、聞いたままに発声することが肝要です。

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 ⇒初めての台湾(1981年) 「7.交通事情」
 ⇒初めての台湾(1981年) 「9.初品入荷」

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初めての台湾(1981年) 「7.交通事情」

 会社への通勤は、当初ホテルにいた頃は言葉が全く分からなかったので、タクシーを予約して利用していましたが、アパートへ移ってからは言葉や環境に少しずつ慣れてきたので、朝は流しのタクシーを拾って出社、帰りは会社の通勤バスを使うようにしました。

 当時流しのタクシーは、アパートの前の道路沿いに出て2~3分も待てば必ずつかまえることができました。ただタクシーといっても、外観の塗装が傷ついたり凹んだりはもちろん、サイドミラーが無かったり、ウインドウレギュレーターのハンドルが無かったり、フロアーに穴があいている車もありました。

 交通事情1-340
 
 運転手は客を乗せている意識が全くなくて、カーレースのような荒っぽい運転が多く、そんな時にはついついアシストグリップを握ってしまうことがよくありました。混んでいる時などは、故意に前の車にぶつけることもありました。しかしぶつけられた相手は怒りもせず、互いになにくわぬ顔をして運転しているのには少々驚きました。

 交通マナーの悪さはタクシーに限らず、歩道を歩いていてもバイクが通り抜けて行くこともあり、信号無視は当り前の交通事情でした(最近では随分よくなりましたが・・・)。こんな交通事情ですので、タクシーを拾う(選ぶ)時も、街歩きをする時も、当然注意するようになりました。

 *不思議なことに、暫くするとそんな交通事情が当り前にも見えてくるようになりました・・・

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 ⇒初めての台湾(1981年) 「6.アパートへ引越」
 ⇒初めての台湾(1981年) 「8.社内での仕事」

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初めての台湾(1981年) 「6.アパートへ引越」

 アパートは、現地の生活に早く馴染むために敢えて日本人のいないことを条件に、メーカー巡廻を共にした購買担当の人に頼んで探してもらいました。探し始めて一週間ほどしてアパートが見つかり、訪台以来約一ヶ月間過ごしたホテルの皆さんにお礼を云ってアパートへ引っ越しました。

 場所はこれまで慣れ親しんだ中区の直ぐ隣で、台中市から台中港へつながる台中港路沿いの五階建のしっかりした建物でした。一階が大家さんで、二階からがアパートになっていました。翔(sho)の部屋は、五階(実際は四階ですが、四と死は発音が似ているので四を使いません。)の一番西寄りでした。後で知りましたが、西寄りの部屋は暑いので現地の人は嫌うそうです。然し翔にとっては、窓の外に廟と大きなガジュマルの木が見え、快適でした。

 アパートへ引越(近廟)-340
 
 外から部屋へ入るまでは、先ず高いコンクリートの塀で囲まれた敷地へ入る扉、次には建物へ入る扉、更には二階からのアパートへ入る扉、そして部屋の扉(全部で四つ)があり、それぞれの扉にカギがついていました。それだけぶっそうな国なんだと思いました。

 部屋は、玄関を入った右手は小さな流しとガス台、左手はトイレと洗面台、その奥は浴室、そして玄関を入った正面奥は寝室を兼ねたリビングで、「ベッド・クローゼット・電話・冷蔵庫・テーブル・椅子(二脚)・エアコン」が備え付けられていました。リビングの奥はベランダで、洗濯物が干せるようになっていました。さほど広くはありませんでしたが、一人で過ごすにはそこそこの作りでした。

 引っ越した初日は、「寝具・洗面具・コップ」など、とりあえず必要な生活用品の買い揃えで結構夜遅くまで走り回りました。中華路の夜市では生活用品も夜中まで売っており、本当に助かりました。落ち着いて過ごせるように、部屋の内装「壁掛・植木・テーブルクロス」などは少しずつ揃えました。こうして、現地の人たちの中での生活が始まりました。

 アパートへ引越(生品)-340
 
 アパートの住人は、殆どが若い独身者でした。二階からのアパートへ入る扉の横には各部屋へ電話を取り次ぐ交換室(兼若い人たちの溜り場)があり、いつも5~6人が集まって「しゃべったり・トランプをしたり」していました。移り住んで暫くしてからですが、翔が仕事から帰ってこの交換室の横を通ると、みんなで「你回来了!(nǐ huí lái le / お帰り!)」と声を掛けてくれるようになりました。いつも黙って静かに通り過ぎていた翔(日本人)に、興味もあったようです。

 こうして、翔もこの溜り場へ参加するようになりました。そうして知り合ったみなさんは、「近くの病院へ勤めている人・翔の勤めている会社の近くの大学生・舞店(ダンスホール)で働く人・カンフーをやっている人」などで、いろいろな話を聞たり、いろいろなところへも案内してもらいました。

 最初は、「哪裡来了?(nǎ lǐ lái le / どこから来たのですか?)」、「做什麼(zuò shén me / 何をしているんですか?)」、などといろいろ聞かれましたが、とても聞き取れませんでした。しかし、筆談したり英語で話したりしてなんとか理解できました。どうしても分からない言葉があった時はメモをして持ち帰り、辞書で意味と発音を調べるようにしていました。

 アパートへ引越(国辞)-340
 
 辞書は現地の国語辞典を使い、発音はホテルで習った注音符号で確認しました。こんな生活をして二ヶ月ほど過ぎた頃から、北京語が断片的に少しずつ耳に入って来るようになりました。又簡単なことは、話すまでにはいきませんでしたが、単語を並べてなんとか伝えられるようになってきました。

 *日本語が全く通じない環境での生活、何をするにも北京語を話さざるを得ません。半年間、言葉を覚えるには長くありませんが、結構会話ができるようになるものです。

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 ⇒初めての台湾(1981年) 「5.メーカー巡廻」
 ⇒初めての台湾(1981年) 「7.交通事情」

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初めての台湾(1981年) 「5.メーカー巡廻」

 半年間使うことになる自分の机の整理や、日本から持ち込んだ図面の片付けが終わった頃から、新製品の部品調達のためのメーカー巡廻が始まりました。

 先ずは、工法別に選定した部品メーカーを訪問して、部品手配をスタートさせる作業です。具体的には、図面と現物を前にした「部品形状の説明・工作上の重点部位の説明・メーカーの品質確保手段の確認・調達日程の確認・購入コストの確認」などです。この作業を、購買担当の現地スタッフと進めました。

 メーカ巡回1(工廠)-170 メーカ巡回2(零件)-170

 技術課題についての説明や確認は、現地スタッフの通訳を介して進めざるを得ません。説明したいことが間違いなく伝わるように、又確認漏れがないように気を使わなければならなかったことと、直接伝えられないことのもどかしさや苛立ちも加わり、本当に疲れる毎日でした。

 訪問したメーカーは一日平均4社(午前と午後それぞれ2社)で、全ての部品の発注を終えるまでに10日ほどかかりました。この初回のメーカー巡廻を終えた時、先ずは前述の疲れからの開放に対して、正直ホットしました。同時に、これからの半年間の仕事と日々の生活に対する言葉の重要性をつくづく痛感しました。

 そんなことを思うようになったある日、滞在していたホテルの受付の娘に北京語を教えてほしいとお願いしました。すると、彼女は快く引き受けてくれました。

 北京語は、37の注音符号(bo po mo fo)で漢字の発音を表記します(この表記は、今では台湾でしか使われていません。)。彼女の提案で近くの本屋へ行って、現地の幼児が言葉を覚えるために漢字と注音符号が併記された絵本を買い、注音符号の学習を始めることにしました。

 メーカ巡回3(注符)-170 メーカ巡回4(幼書)-170

 現地の人の話では、日常会話に使う漢字は500字程度とのことでした。だとすれば、この500字の漢字について日本語の「音読み・訓読み」に合せて「北京語読み」を覚えれば、相当の会話ができることになります。ただその500字はどの漢字なのか、皆目見当がつきません。現実には、日々の生活の中で一つずつ覚えるしかありませんでした。

 学習は、仕事を終えてホテルへ帰り、着替えをして夕食へ出かけるまでの2時間ほどの間に、彼女の時間が取れる30分から1時間を費やして行いました。こんな学習を二週間ほど続け、まだまだ完全とはいえませんでしたが、注音符号とその発音を半分ほど覚えました。

 北京語の学習はこんな状況でしたが、訪台して一ヶ月が過ぎて、台湾での生活にも少しずつ慣れてきていました。習い始めた注音符号を全部覚えていないことが心残りでしたが、より早く言葉を覚えたいと思い、そして又台湾のことをより多く知りたいと思い、ホテルを出てアパートへ移り住むことにしました。

 *このアパート暮らしで、言葉は "頭で覚えるのではなく身体で覚えるもの" だと、つくずく実感しました。

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 ⇒初めての台湾(1981年) 「4.街歩き」
 ⇒初めての台湾(1981年) 「6.アパートへ引越」

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初めての台湾(1981年) 「4.街歩き」

 当分の間翔(sho)が寝起きしたホテルは、台中市の中区にありました。中区は、東の端は台中駅の前の南北に延びる建国路から始まり、西の端は五権路までと、南の端はこれらの道に直交して東西に延びる国光路沿いの台湾省議会へつながる林森路から始まり、北の端は台中公園沿いの公園路までです。

 この4本の道に囲まれた市街地は、無数の道が碁盤の目のように整備され、初めて訪れた翔でも道に迷うことなく容易に街歩きができました。今では工業の発展につれ繁華街は工業区寄り(台中市西区)に移ってしまいましたが、当時の中区は台中市の中で最もにぎやかなところでした。

 2街歩き(市街)-340
 
 市政府を中心に、百貨店・ホテル・銀行・飲食店・日本料理の店・居酒屋・スナック・理髪店・按摩の店・客を呼び込む怪しげな店・土産物を売る店・電化製品の店・時計の販売と修理をする店・生活用品の店・靴やカバンの販売と修理をする店・バイクや自転車の販売と修理をする店・金物屋・薬局・宝石店など、あるとあらゆる店が軒を並べており、散策するには飽きることはありませんでした。

 ことに中華路の夜市は特別で、屋台で食事をする人たちや買い物をする人たちで、深夜までにぎわっていました。小さな子供までが、夜遅くまで出歩いていることには驚きました。

 3街歩き(夜市)-340
 
 訪台して暫くの間は、自分が半年間過ごす市街地をよく知っておきたいと思い、休みの日には街へ出て碁盤の目に整備された路地を、端から端まで軒を並べた店をのぞきながら歩き回って過ごしました。

 そんなある日、アイスコーヒーでも飲んで一休みしようと、喫茶店へ入りました。ウエイトレスに知っている単語を並べて、「咖啡(gā fēi/コーヒー)+冰塊(bīng kuài/氷)」と告げると、日本語で「アイスコーヒーですか?」と問い返されました。このウエイトレスには、日本語が通じたのでした。出てきたアイスコーヒーを飲みながら、この滑稽で奇妙なやりとりを思い返して(腹の中で)笑ってしまいました。

 それから数日後、街歩きの途中に同じ喫茶店へ入りました。今度は、日本語で「アイスコーヒー下さい!」と注文しました。しかし、この日のウエイトレスには日本語が全く通じない様子でした。結局覚えたばかりの北京語で注文「我要冰咖啡(wǒ yāo bīng gā fēi)」して、アイスコーヒーを飲むことができました。

 日本ではないのだから、これがごく自然で当たり前なことですが・・・

 *過去に日本が統治していた時期があったこともあり、日本語を話せる人も沢山います。

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 ⇒初めての台湾(1981年) 「3.新しい職場」
 ⇒初めての台湾(1981年) 「5.メーカー巡廻」

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初めての台湾(1981年) 「3.新しい職場」

 仕事で来たのだから当然のことですが、訪台の翌日からさっそく現地の合弁会社へ出勤が始まりました。初日は、これから一緒に仕事を進める合弁会社の董事長(会長)・總経理(社長)・他主な皆さんとの顔合わせと、新製品の現地関係者への説明会で暮れました。

 1職場(職制)-340
 
 現地スタッフの皆さんとの顔合わせで驚いたことは、主任クラス以上の人たちは本当に日本語が上手なことでした。後述しますが、この人達の助けを借りて仕事を進めて行くことになります。そしてその中でやはり大切なことは、現地の言葉を覚え現地の人達の中へ入り込んで行くことだと知りました。

 又新製品の現地関係者への説明会では、現流動製品を含めた生産課題に対する質問と、早急な対応を求められました。その要求は、日々一定の生産数量を達成しなければならない生産現場の立場としては当然のことだと思いました。

 翌日からは、本社(日本)の協力を得ながら説明会で受けた生産課題への対応と、半年間使うことになる自分の机の整理と、日本から持ち込んだ図面の整理(実際には、現地の女子社員にお願いしました。)などで、最初の二週間ほどはあっという間に過ぎて行きました。

 平日のお昼は、常には工場の二階に設けられた食堂で摂りました。食事は個別のトレイではなくて、大皿に盛り付けた「野菜料理・魚料理・肉料理」と、大なべに入った「ご飯」がそれぞれのテーブルに置かれており、一つのテーブルを10~15人で囲んで、自分の皿にご飯とおかずを大皿から適当に取り分けて食べるようになっていました。

 2職場(食事)-340
 
 食べ方は、左手に大き目のスプーン(或はレンゲ)を持ち、皿の上に置いたスプーンに右手に持った箸でご飯とおかずを載せ、左手で食べます。やってみると分かりますが、ご飯は日本米と違って少しパラパラしていますので、料理に合った合理的な食べ方だと思いました。

 最初は独特の香辛料の匂いに少し戸惑いましたが、暫くするとそんなに気にならなくなりました。また、現地の皆さんはいつも開水(kāi shuǐ /湯冷ましした水)を飲んでいますが、食後にお茶を飲む習慣はありません。そんな環境でしたので、食後には事務所へ戻って開水を飲むようにしました。

 *"郷に入れば従え"と言いますが、そこの 風土・環境 にあった最善の教えのことを言っているのだと思いました。

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 ⇒初めての台湾(1981年) 「2.訪台の目的」
 ⇒初めての台湾(1981年) 「4.街歩き」

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初めての台湾(1981年) 「2.訪台の目的」

 これから綴るいくつかの「想い出」を補足するために、当時の翔(sho)の訪台の目的を簡単にお話しておきます。

 翔は某製造会社で、新製品の開発業務を担当していました。労働集約型の翔の勤める会社の製品は、1970年代の日本の高度成長に伴う人件費の高騰と石油危機での物価上昇の影響で、利益が減少の一途をたどっていました。

 1目的(経済)-340

 このような事業環境を乗越え利益確保を図るため、競合メーカーを含め人件費の安い台湾に合弁会社を設立して、生産を現地へシフトする過渡期でした。

 当時新製品の開発業務を担当していた翔は、前述した会社の事情から新製品を現地で生産するために、半年間に渡り台湾へ出張することになりました。

 具体的には、新製品の部品の現地合弁会社の下請けメーカー巡廻指導による調達と、合弁会社での新製品の生産化を現地スタッフと協業して推進することでした。

 *この「想い出」は、そんな台湾生活でのできごとを綴ったものです。

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 ⇒初めての台湾(1981年) 「1.訪台」
 ⇒初めての台湾(1981年) 「3.新しい職場」

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